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障害学会雑感2

 昨日の続きで障害学会2日目の感想を紹介します。
 2日目で一番印象に残っているの学会シンポジウム2の「テクノロジと障害」です。このプログラムでは、フィンケルシュタインのポスト産業社会の時代にはテクノロジが障害をもたらす環境に変化を与え障害からの解放をもたらすという期待、広島青い芝による電動車いす拒否宣言(テクノロジは健全者が障害者との関わりから逃れ障害者との出会いをなくすもの、人は自分のことは自分ですべきという価値観の強化と再生産を図る)という懐疑、というテクノロジに対する異なる2つのスタンスの提示から始まって主にITを中心としてテクノロジが何をもたらすのかという議論が展開されました。
 印象的だったのは自身も視覚障害者で、視覚障害者向けのソフトを開発もしている石川さんの以下の発言。「支援技術はそもそも多様な人が利用することを前提としたユニバーサルデザインがあって初めて有効に活用される。ユニバーサルデザインがないところで、支援技術だけで何とか帳尻を合わせようと無理をするからいろんな不都合が起こってくる。」考えてみたら当たり前だが昨日の情報保障の問題だけじゃなく、ぷらっとでの活動なんかでも現状の社会を前提としどうすれば障害を持つ人が適応できるかという支援を考えがちだけど、その前提自体に働きかけることをやっていかなければならないって事ですよね。
 他にはよく聞く問題ですが、ろう者は人工内耳を歓迎しないという話。むしろ、人工内耳はろう文化への侵害としてとらえるという話から、テクノロジはインペアメントを縮小するのかディスアビリティを縮小するのかということが議論(テクノロジが障害を持つ○○さんから、障害を治すということで○○さんのパーソナリティーの一部を奪ってしまうのではないかということ等)されていました。
 私は、昨日のブログでも書きましたが支援に人が介在することで“まじめ”であることを強制されたり、いろんな面倒なことが起こるのであればできることなら機械が支援できればいいのになぁと単純に考えていました(「介護者手足論」なんてのもそんな流れかなと思っていました)。でも広島青い芝の会の電動車いす拒否宣言として紹介されていた、技術が健全者が障害者と出会う(たぶん健常者にとってめんどくさかったり、不愉快だったりしてできれば避けたいと思っているような)ことを奪ってしまってはいけないという話を聞いて、少し単純に考えすぎていたのかなと大いに反省してシンポジウムを聞いていました。
 そろそろお風呂なのでちっともまとまってないけど今日はこれぐらいに。

 追記:脳に電極を埋め込んで義足や義手を動かすというようなテクノロジに対して感じる嫌悪感はどこから来るのかなという話も出ていました。これは私にはちっとも整理できませんでした。確かに何か違うなという感覚やそこまでするのかという嫌悪感のようなものを感じるのですが、これらの感情は本当にテクノロジに対してもしくはそういうテクノロジを生んでしまう価値観に対して向けられているのでしょうか。誤解を恐れずに言うと「人あらざるもの」に向けられる感情ということもいえるのではないでしょうか。障害学やカルチュラルスタディなんかはスタンダードというか“こうあるべき”が生むいろんな阻害を多様な価値観を提示して並列化することで解体していく取り組みなのかなと思うのですが、上記のような“あたりまえ”の感情に対して何を提示していくのだろう。
 何を書いてるのか意味不明ですね。いつかちゃんと整理して説明できたらいいのになと思ってることだったので整理もできてないのにちょっとだけ書いてしまいました。では本当にお風呂に入ります。

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うだうだ、ぶつぶつ。いろんなことにすぐに悩んでしまう困った人です。

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