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ハノイ日記4







 今日はハノイの西洋建築とそれ以外にきれいに撮れた写真を紹介したいと思います。
 ベトナムは19世紀末からフランスの植民地にされてしまいました。その関係で19世紀末から1930年代に書けて多くの西洋建築がたてられました。写真の1枚目は1888年に建設されたハノイ大聖堂です。建設当初は真っ白だったようですが長い年月のせいですっかり黒くなってしまっています。2枚目は歴史博物館です。建設当初はフランス極東学院博物館だったそうで、1932年建設。3枚目は大統領官邸。1902年建設で、当時のフランスの植民地総督官邸。ちなみにきれいな建物だなーと周りを歩いていていつの間にか立ち入り禁止の場所に入ってしまい兵隊さんに怒られてしまいました。4枚目からは西洋建築とは関係ありません。4枚目はハノイから車で30分程度の距離にあるバッチャンという村。安南焼きの窯元だそうです。5枚目は文廟の中です。王朝時代は教育機関として使われていたそうです。ラスト5枚目は、シクロ(自転車タクシー)の大群。広場とかに集まって観光客を待っています。この近くを通ってしまうと運転手のおっちゃんから「シクロー」という大きな声と手招きのお誘いを受けてしまいます。
 ぐだぐだと4回にも渡って書いたハノイ日記もこれでおしまいにしたいと思います。
 東南アジアは去年行ったバンコク、アユタヤ以来2回目の旅行ですが、タイよりもベトナムに親近感を感じました。このことは、タイの人に比べてベトナムの人の方が日本人と顔かたちが似ているように感じたことが1つの要因だと思います。このほかにも同じように中国の周辺国で現在は使われていませんが漢字を使っていた国(20世紀初頭までは使われていたとのこと)であり、寺院などにも漢字があふれていることなど文化的に似ているところが多いことも親近感を生むのかもしれません。
 今回の旅行でベトナムがすごく好きになりました。ただ、好きになったのはなぜかと考えてみるとベトナムのどこがいいのかは正直よくわかりません。食べ物はおいしいけど、道路などのインフラや一人一人のベトナム人の生活水準などはとても「良い」とは思えません。日常使っている生活道路が車酔いせずには乗っていられないような状態のまま放置してあるのに、川に架かるとてつもなく大きな橋は日本からの援助で日本のゼネコンが建設中、という一人一人の生活者の日常の便よりも経済振興のための流通路の確保が優先されるというような「いびつさ」を感じる(ただの旅行者なのでそこまで言い切っていいかどうかはわかりませんが…)。道路にはろくに信号もなく、走るバイクや車の列をかいくぐって道路を渡れる人だけが街を自由に歩けるという「やさしくない」街。隣近所のほほえましい助け合いや人情はあるだろうけど、逆に言うとそれらがないととても暮らしていけないのではないか思ってしまう。こうやって一つ一つ見ていくと、とても住みやすそうではないのに何に心惹かれるのか。たぶん、街全体から感じる「活気」ではないかと思います。
 冷静に見ると、日本なんかから見たってろくに社会保障もなさそうで暮らしにくそうなベトナム。でも私は、ベトナムに暮らす人の明日に希望を感じながら一生懸命暮らしているエネルギーに強く惹かれ、ベトナムが好きだと感じたんだと思います。以前、NHKが放送していた「映像の世紀」というドキュメンタリーの中でアメリカの作家スコット・フィッツジェラルドの言葉としてたぶんこんなことを引用していたと思います。〔今日よりは明日の方がよくなるとがんばってきたけど、自分たちはもうほしいものをすべて手に入れてしまって、もう今以上に幸せにはなれないことがわかった〕 日本に暮らしていてベトナムに対してこんなことを感じるなんていうのもずいぶん身勝手な話だと思いますが、ベトナムには今の日本にはない健全な活力があるように感じました。

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うだうだ、ぶつぶつ。いろんなことにすぐに悩んでしまう困った人です。

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