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善き人のためのソナタ


 今日は休みだったので梅田まで映画を観に行く。これまでも観たい映画はたくさんあったけど機会がなくてなかなか劇場に行けず、なんと去年の秋以来と本当に久々となってしまった。
 今日、観てきたのはドイツ映画「善き人のためのソナタ」。ドイツでは昨年3月の公開から1年以上のロングランを更新し続けるヒット作で今年のアカデミーショーでも外国語映画賞を受賞したようです。
 お話の舞台は1984年、ベルリンの壁が崩壊する前の東ドイツ。ヴィースラーという国家保安省の職員が〈反体制的〉との疑惑をかけられた劇作家ドライマンの自宅を盗聴し、彼が〈反体制的〉であるとの物証を得るためにドライマン宅に出入りする恋人で舞台女優のクリスタやその他の友人たちとのやりとりを監視します。でもその過程でヴィースラー自身がドライマンらに影響され、ドライマンとその友人が西ドイツのシュピーゲル誌に東ドイツ政治体制の実態を暴く文章を密かに寄稿するのを見逃し、さらには国家保安省の家宅捜索を証拠を隠滅するという形で妨害までしてしまいます。ヴィースラーはこのために降格され壁が崩壊するまで閑職に追いやられます。これ以上書いてしまうと浜村淳になってしまうので内容はここまでにしておきますが、以上のようなお話がすごく丁寧に描かれています。
 この映画では、東ドイツという国は国家保安省が盗聴を行ったり、何十万人もの市民を協力者にしたてて密告を行わせたりする監視国家だったということがすごくリアルに告発されています。パンフレットにも東西統一から15年以上がすぎて、自分たちのしたことを関係のない過去のこととしてはいけないというメッセージがあるのでしょう。でも私が考えさせられたのは、ヴィースラーが心を揺り動かされたのは劇作家の自由な生き方であり、芸術という人間の内面の発露に対して政治が干渉するべきではないという想いのほうです。東ドイツに対して壁の向こうの西は、登場人物たちの台詞の中に何度も登場します。この壁の向こうに対して込められた想いは、自由な表現や個人の生活への不介入に対する憧れであり、個々人の生活にばかげた官僚主義や権力者の欲が介入し抑制しようとする壁のこちら側へのアンチとしてです。決して、資本主義や自由な経済活動、新しい車やきらびやかな消費生活ではありません。
 人が暮らしていくために必要なものは何か。ヴィースラーは何を求めて、処分を覚悟してまでドライマンを助けたのか。この映画に問いかけられたものは大きいと思います。

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